パピヨン”カルラ”とお出かけ~京都の夏 祇園祭 前祭 その9~

(o’ω’o)b コンニチワァ♪ 父ちゃんです。

今回も引き続き祇園祭、前祭の山鉾を巡行順にご紹介していきます。

今回は棒振り囃子の綾傘鉾、ユニークなカマキリの「蟷螂山」、七福神の「菊水鉾」、ヨーロッパ産タペストリーの「白楽天山」をご案内します。

15,綾傘鉾

綾傘鉾は、山鉾の非常に古い形態である傘鉾の一つで、応仁の乱以前15世紀前半の記録にも登場します。

綾傘鉾は1864年の大火で大部分を焼失、その後1884年(明治17年)から一時期完全に途絶えてしまいますが、1979年(昭和54年)に約100年ぶりに復興を成し遂げました。

祇園祭 綾傘鉾

▲綾傘鉾

巡行の際は、優美な垂りをつけた2基の鉾とお稚児さん、そして道中舞を披露する棒振り囃子で構成されています。巡行に生身の人間が稚児として参加する数少ない鉾の一つです。

祇園祭 綾傘鉾

▲綾傘鉾

綾傘鉾の棒振り囃子は、棒を持った「棒振り」太鼓持ちと打ち手のペア「巡柱」と笛や鐘でお囃子を奏でる人たちで構成されます。

棒振りは赤い髪(赤熊)、巡柱はお面をかぶり、所々でお囃子に合わせて舞を披露します。

祇園祭 綾傘鉾の棒振り

▲綾傘鉾 棒振り

棒振り囃子の様子は江戸時代に描かれた「洛中洛外図」にも登場する歴史あるものです。

現在の棒振り囃子を演じるのは「壬生六斎念仏保存会」の方々です。なぜ別の地域の壬生の方々が関わったのかはっきりとした事はわかっていませんが、18世紀中頃には囃子方として壬生から参加した記録が残っています。

棒振り囃子は巡行以外にも、宵山に会所の前で披露されます。ぜひ一度ご覧になっていただきたいです。

祇園祭 綾傘鉾の巡柱

▲綾傘鉾 巡柱

綾傘鉾の御神体は木彫漆箔鶏、傘鉾の鉾頭として使われる雄鶏の木像。宵山の期間は会所の大原神社に安置され間近で見ることができます。

懸装品は傘につけられる垂りが2種類、綾傘鉾が復興した1979年に人間国宝・森口華弘氏が製作した「四季の花」と元町内在住者より寄贈された「飛天の図」です。「飛天の図」は京都市伏見区にある法界寺の国宝・阿弥陀堂の壁画を基にしています。

祇園祭 綾傘鉾の提灯

▲綾傘鉾

綾傘鉾のご利益は厄除けのほかに「縁結び・縁故守り」があります。我が家も今年の前祭の粽は、ブログやTwitterで犬好きさんと素敵な縁ができればいいなと思いこちらのものをいただいてきました。

祇園祭 綾傘鉾の粽

▲綾傘鉾 粽


16,蟷螂山

ユニークなからくりで人気の蟷螂山の起源は南北朝時代にさかのぼります。

祇園祭 蟷螂山

▲蟷螂山

当町在住の公卿、四条隆資は足利義詮軍と戦い惜しくも戦死します。その戦いぶりが「蟷螂の斧」の様であったことから、当町在住だった陳外郎大年宗奇が四条隆資の死後25年目に四条家の御所車に蟷螂をのせて巡行したのが始まりだそうです。

祇園祭 蟷螂山

▲蟷螂山

その後、度重なる戦火で焼失を繰り返すものの、そのたびに再興されてきましたがついに1864年、元治の大火によりそのほとんどを焼失し巡行も途絶えることとなります。その後、昭和56年に117年ぶりに再興されることとなります。

祇園祭 蟷螂山の提灯

▲提灯のカマキリがかわいいです

蟷螂山の最大の特徴はカマキリや御所車の車輪が動くからくりが仕掛けられていることで、祇園祭の山鉾で、このような仕掛けのあるものは他に一基もありません。

祇園祭 蟷螂山のカマキリと御所車

▲蟷螂山 カマキリと御所車

祇園祭 蟷螂山 会所の大蟷螂

▲会所の大蟷螂

この動く大蟷螂は名古屋の細工職人・七代目玉屋庄兵衛よって製作されました。巡行の際には山に4人の人が乗り込みからくりを動かすそうですが、斧を振り上げたり、羽をはばたかせるなど複雑な動きをするため名古屋から九代目が弟子と訪れて操作を行うそうです。

祇園祭 宵山の蟷螂山

▲宵山の蟷螂山

蟷螂山の懸物はすべて人間国宝の京友禅作家・羽田登喜男さんの作品が使われています。羽田さんは京都の庭園・自然を愛し花鳥風月に材を求める作家さんで、特に独特のオシドリの文様が高く評価されています

祇園祭 蟷螂山

▲蟷螂山

祇園祭 蟷螂山の見送

▲蟷螂山 見送

友禅染の懸装品が山鉾に使われたのは、この蟷螂山が初めてだそうです。友禅染は色褪せしやすく、長期保存には向いていないため、蟷螂山の懸装品には特殊な染料が使われているそうです。

祇園祭 蟷螂山の胴懸

▲蟷螂山 胴懸

祇園祭 蟷螂山の飾り金具

▲蟷螂山 飾り金具

パピヨンと蟷螂山

▲カマキリが運ぶおみくじが
あったりして毎年人気の山ワン🐾


17,菊水鉾

菊水鉾は町内に古くからある井戸「菊水の井」にちなんで名づけられました。

祇園祭 菊水鉾

▲菊水鉾

室町時代、菊水鉾が建てられる場所にはえびす様をお祀りする社があり、その隅に名水「菊水の井」がありました。

菊水の井跡

▲菊水の井跡

千利休の師匠である武野紹鴎はこの井をこよなく愛し、ここに庵をつくって「大黒庵」と名付けます。また「菊水の井」の名前の由来は、能楽「枕慈童」の中の中国の故事「菊の露を飲んで700年の長寿を得た」というところから着想されています。

それらのことから菊水鉾は長寿と商売繁盛のご利益があるとされています。また菊水鉾の稚児人形は長寿を得た枕慈童で能装束を身にまとっています。

菊水鉾も元治元年(1864年)の兵火によって焼失、巡行が中断されますが、昭和26年に88年ぶりに再興されます。そのため菊水鉾は「昭和の鉾」とも称されます。

懸物は京都の染色家・皆川月華のものが使われていましたが、2012年から四年の月日をかけて、新たに七福神をモチーフにしたものが新調されました。

祇園祭 菊水鉾の胴懸

▲菊水鉾 胴懸

懸物の七福神さまを見ていくとえびす様だけが描かれていません。これは菊水鉾の町内には昔から伝わるえびす像があり、巡行の際は鉾の屋根の上に祀られるためです。

代わりに前懸にはえびす様を連想させる舟と釣竿、鯛が留守文様で描かれていて非常に凝ったつくりになっています。

祇園祭 菊水鉾の前懸

▲菊水鉾 前懸
えびす様の留守文様は左上です

見送は岩澤重夫筆の「深山菊水図綴織」作者の岩澤重夫さんは金閣寺の客殿・障壁画を製作された方です。例年は皆川月華の「孔雀花草図」が使用されているみたいで、この見送での巡行は久々のようですね。

祇園祭 菊水鉾の見送

▲菊水鉾 見送

菊水鉾とパピヨン

▲七福神の懸物の製作に
8000万円もかかったそうワン…🐾


18,白楽天山

唐の詩人・白楽天が道林禅士に仏法の大意を問うシーンが再現されています。

祇園祭 白楽天山

▲白楽天山

白楽天山の御神体である道林禅士は松の木の上、カササギの巣と同じ高さ(=とても高いところ)の場所で生活していたそうです。

その為、白楽天山に立てられる松の木はどこよりも長いものを選んでいるそうです。

祇園祭 白楽天山の御神体

▲白楽天山 御神体の道林禅士と白楽天

白楽天山はヨーロッパのタペストリーを利用した懸物を複数使用する珍しい山です。

前懸は鶏鉾と同じくギリシャの叙事詩「イーリアス」のトロイ戦争の場面、トロイ城が陥落する時にアイネイアスが父を救出するシーンが描かれています。

祇園祭 白楽天山

▲白楽天山

この前懸は通常見られるものよりも細長いものに見えます。これは元のタペストリーをいくつかに裁断したもののためで、他の部分は大津祭の曳山、月宮殿山と龍門滝山の見送として現存しています。

胴懸のものはベルギー製で、右側が「女狩人図」左側が「農民の食事図」です。

見送は、京都の染織家・山鹿清華による「北京万寿山図」で清朝離宮が描かれています。

祇園祭 白楽天山の見送

▲白楽天山 見送

※7/16~17にお出かけしました

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