パピヨン”カルラ”とお出かけ~京都の夏 祇園祭 後祭 その2~

(o’ω’o)b コンニチワァ♪ 父ちゃんです。

今回も引き続き祇園祭、後祭の山鉾を巡行順にご紹介していきます。

今回はくじ取らずの曳山「北観音山」と重要文化財の懸装品「鯉山」をご案内します。

2,北観音山

北観音山と隣町にある南観音山は一対の兄弟山。かっては一年交代で巡行していたそうです。

祇園祭 北観音山

▲北観音山

二つの山の結びつきはとても強く、屋根に取り付ける松は二本用意し、くじでどちらを使うか決めるそうです。

祇園祭 北観音山

▲北観音山

北観音山は別名「上り観音」とも呼ばれ、文和2年(1353年)に創建されたことが町内に残る古文書に記録されている、大変歴史ある曳山です。

祇園祭 宵山の北観音山

▲宵山の北観音山

北観音山も「くじ取らず」の曳山、巡行の2番手を進みます。御神体として山舞台に楊柳観音像と韋駄天立像を安置、この観音さまは南観音山の御神体から恋心を抱かれているそうです。

祇園祭 北観音山の御神体

▲(暗くて見ずらいですが…)
北観音山の御神体

北観音山の懸装品は前後懸はペルシャ絨毯、胴懸にはインド絨毯とトルキスタン絨毯が使われています。

祇園祭 北観音山の懸装品

▲北観音山 中島来章下絵の水引

水引は関帝祭の図で中国・唐の王様の行列が描かれています。下絵は幕末から明治にかけて活躍し「平安四名家」と呼ばれた絵師・中島来章によるものです。

祇園祭 宵山の北観音山

▲宵山の北観音山

北観音山とパピヨン

▲とてもきらびやかな曳山ワン🐾



3,鯉山

今年の後祭「山一番」の鯉山は「登龍門」の故事を題材に作られた山で、古くは「龍門の滝山」と呼ばれていました。

祇園祭 鯉山

▲鯉山

始まりは不明ですが室町時代後期の祇園祭の姿を描いた狂言「鬮罪人」では毎年趣向の決まった山として登場します。

祇園祭 宵山の鯉山

▲宵山の鯉山

鯉山は朱塗りの鳥居をたて、その奥の祠に素盞嗚尊をお祀りしています。

祇園祭 鯉山の会所

▲鯉山の会所

祠の脇の白麻緒は滝に見立てられ大きな鯉が跳躍しています。欄縁やその他の金具は全て波濤文様に統一されています。

鯉山の左甚五郎作の鯉

▲左甚五郎作と伝わる鯉

鯉山の象徴、木彫の鯉は左甚五郎作と伝えられるもので、木片の材質調査から1650年ごろのヒノキであることが判明しており、江戸時代前期に彫られたものであることが裏付けられています。

祇園祭 鯉山の提灯

▲鯉山の提灯

鯉山を飾る懸装品の内、前掛・胴懸・水引・見送は一枚のタペストリーを裁断したものが使われています。

鯉山 会所の懸装品

▲鯉山の懸装品

このタペストリーは「B・B」という文字が残されていたことからブラバン・ブリュッセル(現在のベルギー)で製作されたものということがわかっています。

祇園祭 鯉山の前掛

▲前掛

描かれている図案は古代ギリシャの叙事詩「イーリアス」の中の「トロイア戦争物語」の一場面で、トロイア最後の王プリアモスとそのお后ヘカペーが祈りを捧げる姿です。

祇園祭 鯉山の見送

▲見送

このタペストリーが日本にきた経緯は不明ですが、17世紀ころだと考えられています。5枚シリーズになったタペストリーで、そのうち2枚は会津藩から加賀藩・江戸幕府の手にわたり、残りの3枚は会津藩から京都の天寧寺にわたり換金の為に売却されました。

祇園祭 鯉山の胴懸

▲胴懸

鯉山では、ほかの山鉾の購入記録などから1800年頃に購入したと考えられており、1枚のタペストリーを大工さんがノミを使って大小9枚に裁断しました。その際、裏側に名物裂を付けておいたため褪色することなく当時の色彩が今日まで残っています。現在これらのものは重要文化財に指定されています。

巡行の際は復元新調されたものを使用されるそうですが、宵山期間には会所飾りとして展示されます。

パピヨンと鯉山

▲鯉山さんの会所は大人気ワン🐾

祇園祭 鯉山の提灯

▲宵山の鯉山

※7/22~24にお出かけしました
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