パピヨン”カルラ”とお出かけ~京都の夏 祇園祭 後祭 その4~

(o’ω’o)b コンニチワァ♪ 父ちゃんです。

今回も引き続き祇園祭、後祭の山鉾を巡行順にご紹介していきます。

今回はあばれ観音の「南観音山」、べっぴんさんの御神体「鈴鹿山」をご案内します。

6,南観音山

南観音山は「下り観音山」とも呼ばれる「くじ取らず」の山鉾で、巡行の6番目を進みます。

祇園祭 南観音山

▲南観音山

南観音山の全身「補陀落山」は応仁の乱以前から存在する山鉾で、北観音山と隔年で山を出していました。応仁の乱の後は「観音補陀落」と呼ばれ、江戸時代ごろから現在の南観音山と呼ばれる様になります。

祇園祭 宵山の南観音山

▲宵山の南観音山

南観音山は度重なる大火で存続の危機にさらされます。天明8年(1788年)の天明の大火ではご本尊・楊柳観音像の頭部を残して焼失、元治元年(1864年)の元治の大火では古い記録が焼失、巡行の参加も一時中断されます。再度の復興後、明治5年から毎年巡行に参加することとなります。

祇園祭 宵山の南観音山

▲南観音山

南観音山は華厳宗の説話「入法界品」をモチーフにしています。「入法界品」とは善財童子が文殊菩薩の教えにより修行の為53人の聖者を訪れる旅をします。

28番目に訪ねたのが補陀落山の観音菩薩で、善財童子が観音菩薩と共に合掌することで人々を救う教えを受けたというものです。

祇園祭 南観音山

▲南観音山

説話では観音菩薩ですが、南観音山では楊柳観音をご本尊としています。ご本尊の楊柳観音は平安時代の天台宗の僧・恵心僧都作と伝えられます。

天明の大火でご本尊は頭部を残して焼失してしまいますので胴体部分は江戸時代につくられたもの。またご本尊の横で合掌する善財童子も江戸時代の作です。

祇園祭 南観音山

▲南観音山

南観音山の懸装品は、前懸・胴懸はペルシャ絨毯、旧前懸として珍しい17世紀の異无須織のペルシャ絨毯なども保存しています。下水引は世界遺産・天龍寺の法堂天井画などを手掛けた日本画家の加山又造によるものです。

祇園祭 南観音山の懸装品

▲南観音山の懸装品

南観音山 異无須織のポロネーズ絨毯

▲異无須織のポロネーズ絨毯

祇園祭 南観音山

▲南観音山

南観音山には深夜に行う「あばれ観音」という珍しい行事があります。これは宵山の夜に囃子方が善財童子を抱えて町内を走り回り、もう一体の御神体・楊柳観音を台に乗せて追い町内を三周するというもの。

「あばれ観音」が行われる理由は諸説あり、「翌日の巡行の際に静かに座っていてもらうため」や「南観音山の観音様は北観音山の観音様に恋心を抱いているので暴れて冷めさせる」などなど…実際はなぜ行われるのか、いつから行われているのか全くわからないそうです。

南観音山とパピヨン

▲一度「あばれ観音」が見てみたいワン🐾


7,鈴鹿山

鈴鹿山は御神体として鈴鹿権現(瀬織津姫尊)をお祀りする山鉾です。

祇園祭 鈴鹿山

▲鈴鹿山

御神体の鈴鹿権現は元々は盗賊で、将軍・坂上田村麻呂が討伐を命じられます。しかし坂上田村麻呂と鈴鹿権現は夫婦仲になり娘までもうけます。

その後、坂上田村麻呂の武力と鈴鹿午前の神通力で鈴鹿山に住む鬼神を退治し、2人は仲良く暮らします。

鈴鹿山の御神体 鈴鹿権現

▲御神体の鈴鹿権現

山に立つ鈴鹿権現は金の烏帽子をかぶり、手には大長刀を持っています。後ろには赤熊で表現された鬼神の首が置かれています。

御神体は木曽義仲の妻・巴御前をモデルにつくられたといわれ、昔から大変べっぴんさんと評判だったそうです。

御神体は身長176㎝、完全な人間の形をしており、頭や手足を取り外すことはできません。巡行時の衣装である能装束を身につける際は、プロの能楽師の方が担当されるそうです。

祇園祭 鈴鹿山

▲巡行の朝の鈴鹿山
残念ながらお顔は拝見できず…

鈴鹿山の懸装品は、前懸が平成元年(1989年)に新調された「黄砂の道」で2頭のラクダが描かれています。

見送は昭和57年に新調された染彩ハワイの蘭花、皆川月華の作です。

前後でシルクロードの風景とハワイの風景が描かれている珍しいものです。

鈴鹿山の見送

▲見送

胴懸は平成11年に新調された桜図綴織と、平成13年に新調された紅葉図綴織で、作者は京都出身の洋画家・今井俊満氏です。

鈴鹿山の胴懸「紅葉図綴織」

▲胴懸「紅葉図綴織」

鈴鹿山とパピヨン

鈴鹿権現さまはすごい人だワン🐾

※7/22〜24にお出かけしました

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